1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:35:38.34 ID:Rcb3XHo50.net
諸葛亮「知りたいですか?」
引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1449678938/
3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:36:47.26 ID:0G6QT+FW0.net
馬謖「まずなるべく高いところに布陣します」
生年190~没年228。字は幼常。後漢末期から三国時代の人で、蜀に仕えた武将。
228年春3月に諸葛亮は第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭の守備を命じた(街亭の戦い)。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫すこととなる。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、軍規に基づいて処刑した(王平伝より)。諸葛亮はこの責任を取って自ら丞相から右将軍に降格した。「泣いて馬謖を斬る」の故事の元がこれである。
ちなみに山上に布陣すること自体は策の1つである(漢中攻防戦でのいわゆる定軍山の戦いが有名)。だが、馬謖は水源の確保を怠っていた上に、馬謖の策は山上と街道の両軍で挟み撃ちにするというものだったが、上手くいかなかったことが失敗の原因とされる。とは言え魏軍との戦力差(魏が約20万なのに対し、蜀は8万ほどであった)ことも無視することはできないだろう。
この失敗がなければ次世代のホープとして活躍していたかも知れないだけに惜しい人物でもあった。
228年春3月に諸葛亮は第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭の守備を命じた(街亭の戦い)。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫すこととなる。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、軍規に基づいて処刑した(王平伝より)。諸葛亮はこの責任を取って自ら丞相から右将軍に降格した。「泣いて馬謖を斬る」の故事の元がこれである。
ちなみに山上に布陣すること自体は策の1つである(漢中攻防戦でのいわゆる定軍山の戦いが有名)。だが、馬謖は水源の確保を怠っていた上に、馬謖の策は山上と街道の両軍で挟み撃ちにするというものだったが、上手くいかなかったことが失敗の原因とされる。とは言え魏軍との戦力差(魏が約20万なのに対し、蜀は8万ほどであった)ことも無視することはできないだろう。
この失敗がなければ次世代のホープとして活躍していたかも知れないだけに惜しい人物でもあった。

4: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:36:50.17 ID:ikUmh0hW0.net
馬謖「兵法なら知ってますよ」
217年頃、荊州従事として蜀に入り、劉備に仕え、各所の県令・太守を歴任した。並外れた才能の持ち主で、軍略を論じることを好み、その才能は諸葛亮に高く評価された。ただ、劉備は彼を信頼せず、白帝城で臨終する間際にも、「馬謖は口先だけの男であるから、くれぐれも重要なことを任せてはならない」と諸葛亮に厳しく念を押したといわれる。しかしながら馬謖の才能を愛する諸葛亮は、劉備の死後、彼を参軍に任命し、昼夜親しく語り合った。
5: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:36:50.57 ID:7nlrO0eK+.net
お前が知ってるのは魏延の殺し方だけやろ
魏延は、中国後漢末期から三国時代にかけての蜀漢の武将。字は文長。荊州義陽郡の人。劉備の荊州時代以来の配下。
諸葛亮は布陣した五丈原で病に倒れると、内密に楊儀・費禕・姜維らを呼び寄せ、自分が死んだら全軍撤退するように命じた。そして撤退するにあたっては、魏延に敵の追撃を断たせ、もし彼が命令に従わなければ、構わず軍を進発させよと彼らに指示している。
諸葛亮が病死すると、楊儀は費禕に頼んで、魏延の意向を探らせた。魏延は自分が指揮官となって北伐を継続するよう主張し、楊儀の指揮下に入ることを拒否した。魏延が人を遣わして様子を探らせると、諸軍は諸葛亮の定めた指図に従って次々に撤退を開始した。魏延は怒り、楊儀が戻れないよう先発して桟道を焼き落とし、さらに楊儀が反逆したと劉禅に上奏した。楊儀も山に桟道を掛け、昼夜兼行で魏延の後を追いかけ、同じく劉禅に魏延が反逆したと上奏した。
相反する2つの上奏を受けた劉禅は、どちらが正しいのかを董允・蒋琬に問うた。2人はいずれも楊儀の肩を持ち、魏延を疑った。先行していた魏延が南谷口で楊儀を迎撃すると、楊儀は王平(「魏延伝」の記述では「何平」)を魏延に当たらせた。王平が魏延の兵士に向かって「公(諸葛亮)が亡くなり、その身もまだ冷たくならないうちに、お前たちは何故こんな事をしようとするのか」と一喝すると、魏延の兵士たちは魏延が悪い事を知っていたので、彼を見捨てて悉く逃げ去った。取り残された魏延は、息子たち数人と漢中に出奔した。しかし楊儀は馬岱に追跡させ、魏延父子を斬り殺させた。魏延の首が楊儀の元に届いた時、楊儀は「愚か者め、もう一度悪さができるものならやってみよ」と言って首を踏みつけたという。こうして魏延の三族も処刑された。
諸葛亮は布陣した五丈原で病に倒れると、内密に楊儀・費禕・姜維らを呼び寄せ、自分が死んだら全軍撤退するように命じた。そして撤退するにあたっては、魏延に敵の追撃を断たせ、もし彼が命令に従わなければ、構わず軍を進発させよと彼らに指示している。
諸葛亮が病死すると、楊儀は費禕に頼んで、魏延の意向を探らせた。魏延は自分が指揮官となって北伐を継続するよう主張し、楊儀の指揮下に入ることを拒否した。魏延が人を遣わして様子を探らせると、諸軍は諸葛亮の定めた指図に従って次々に撤退を開始した。魏延は怒り、楊儀が戻れないよう先発して桟道を焼き落とし、さらに楊儀が反逆したと劉禅に上奏した。楊儀も山に桟道を掛け、昼夜兼行で魏延の後を追いかけ、同じく劉禅に魏延が反逆したと上奏した。
相反する2つの上奏を受けた劉禅は、どちらが正しいのかを董允・蒋琬に問うた。2人はいずれも楊儀の肩を持ち、魏延を疑った。先行していた魏延が南谷口で楊儀を迎撃すると、楊儀は王平(「魏延伝」の記述では「何平」)を魏延に当たらせた。王平が魏延の兵士に向かって「公(諸葛亮)が亡くなり、その身もまだ冷たくならないうちに、お前たちは何故こんな事をしようとするのか」と一喝すると、魏延の兵士たちは魏延が悪い事を知っていたので、彼を見捨てて悉く逃げ去った。取り残された魏延は、息子たち数人と漢中に出奔した。しかし楊儀は馬岱に追跡させ、魏延父子を斬り殺させた。魏延の首が楊儀の元に届いた時、楊儀は「愚か者め、もう一度悪さができるものならやってみよ」と言って首を踏みつけたという。こうして魏延の三族も処刑された。

6: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:37:45.88 ID:EiCItTuO0.net
姜維「蜀の滅ぼし方知ってますよ」
姜 維(きょう い、建安7年(202年) - 景元5年1月18日(264年3月3日))は、中国三国時代の人物。魏・蜀漢に仕えた。
果たして同年5月、魏の司馬昭の命を受けた鄧艾・鍾会が侵攻して来たため、ようやく劉禅は援軍を派遣した。一方の姜維は剣閣で鍾会軍に抵抗した。しかし姜維と鍾会が対峙している間に、鄧艾が陰平から迂回して成都盆地に進入し、綿竹で諸葛瞻を討ち取った。この知らせを聞いた劉禅は最早抵抗すらできず、鄧艾に成都を攻められる前に降伏した。劉禅降伏の報を受けた姜維は、残念に思いながらも鍾会に降伏した(蜀漢の滅亡)。将士らは皆怒り、剣で石を斬ったという。
降伏後の姜維は、鍾会が魏に反逆する意図を抱いていることを見抜き、鍾会に接近して反逆するよう提案した。その目的は、まず鍾会を魏から独立させ、機会を見て鍾会と魏の将兵を殺害し、劉禅を迎え入れて蜀を復興させようというものであった。鍾会は姜維の進言に従い、遠征に従軍した将軍らを幽閉し反乱を準備した。だが将軍らが命の危機を感じて暴動を起こしたため計画が失敗し、姜維は鍾会および妻子らと共に殺された。享年63。
果たして同年5月、魏の司馬昭の命を受けた鄧艾・鍾会が侵攻して来たため、ようやく劉禅は援軍を派遣した。一方の姜維は剣閣で鍾会軍に抵抗した。しかし姜維と鍾会が対峙している間に、鄧艾が陰平から迂回して成都盆地に進入し、綿竹で諸葛瞻を討ち取った。この知らせを聞いた劉禅は最早抵抗すらできず、鄧艾に成都を攻められる前に降伏した。劉禅降伏の報を受けた姜維は、残念に思いながらも鍾会に降伏した(蜀漢の滅亡)。将士らは皆怒り、剣で石を斬ったという。
降伏後の姜維は、鍾会が魏に反逆する意図を抱いていることを見抜き、鍾会に接近して反逆するよう提案した。その目的は、まず鍾会を魏から独立させ、機会を見て鍾会と魏の将兵を殺害し、劉禅を迎え入れて蜀を復興させようというものであった。鍾会は姜維の進言に従い、遠征に従軍した将軍らを幽閉し反乱を準備した。だが将軍らが命の危機を感じて暴動を起こしたため計画が失敗し、姜維は鍾会および妻子らと共に殺された。享年63。

9: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:38:23.43 ID:b5DuHJmS0.net
岐山かどこかの正面決戦で一応勝ったやろ
11: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:38:45.53 ID:EURmTaf+0.net
曹操で殺せますよ
14: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:40:33.69 ID:qo6kcwnE0.net
死ぬまで待つ
17: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:41:13.84 ID:pF7W4Wkaa.net
陸損「髯の倒しかた知ってますよ」
18: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:41:58.80 ID:dronsD5o0.net
鳳雛とかいう新人がスペらしい
21: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:43:08.87 ID:7nlrO0eK+.net
>>18
徐庶 強奪
鳳雛 スペ
法正 スペ
孔明 過労死
ブラック企業、劉備軍
徐庶 強奪
鳳雛 スペ
法正 スペ
孔明 過労死
ブラック企業、劉備軍
24: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:43:57.30 ID:dronsD5o0.net
>>21
うーんこの契約金詐欺集団
うーんこの契約金詐欺集団
26: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:44:39.65 ID:7nlrO0eK+.net
>>24
張松「入団前に殺されたぞ」
張松「入団前に殺されたぞ」
34: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:47:33.18 ID:j49EY0Hc0.net
>>21
孟達「僕自身蜀を出る喜びもあった」
孟達「僕自身蜀を出る喜びもあった」
荊州の関羽が魏の領土だった樊城を包囲するも関羽が曹操と孫権の挟撃にあうと、劉封と孟達は何度も援軍を求められるが、上庸が占領したばかりで治まっていないという理由で二人はこれを拒否。関羽が敗死したことで二人は劉備に恨まれることになった。
孟達は劉備の怒りを恐れ魏に多数の兵士を連れて投降する。魏の君主曹丕は孟達を新城太守、散騎常侍に任じ孟達に夏侯尚、徐晃らと上庸を攻めさせ劉封を追い出し申耽と弟の申儀を降服させた。劉封には魏に降るよう手紙を贈っている(劉封はこれに従わなかったが結局賜死する羽目になった)。
孟達は劉備の怒りを恐れ魏に多数の兵士を連れて投降する。魏の君主曹丕は孟達を新城太守、散騎常侍に任じ孟達に夏侯尚、徐晃らと上庸を攻めさせ劉封を追い出し申耽と弟の申儀を降服させた。劉封には魏に降るよう手紙を贈っている(劉封はこれに従わなかったが結局賜死する羽目になった)。

35: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:48:18.32 ID:4z6eNG7rd.net
>>34
お前戻ろうとして死んだやんけ!
お前戻ろうとして死んだやんけ!
孟達は曹丕の生前から諸葛亮と書簡をやり取りしており、魏への北伐に向けて、魏を内部から揺さぶるために、費詩の反対を押し切り諸葛亮は孟達に誘いをかける。しかし孟達はなかなか決断しなかったため、諸葛亮はしびれを切らして、孟達が申儀との仲が悪いのを利用して魏に孟達の謀反計画が漏れるように差し向けた。
魏の諸将は孟達が蜀や呉と連携しているから慎重に動くよう言ったが、司馬懿だけは孟達に対して即決で対処すべきと主張し、魏帝に図らず独断で州泰の先導で昼夜兼行で道を急ぎ、わずか八日間で上庸に到達した。
もともと孟達は、諸葛亮に「司馬懿のいる宛から洛陽まで八百里、上庸まで千二百里離れています。魏帝に奏上してから城下に迫るまで一ヶ月はかかるからそれまで防備は固められます」と言っていた。しかし司馬懿の神出鬼没ぶりにさすがに孟達は慌て、必死で抵抗したが、申儀の妨害や、孟達の甥の鄧賢や部将の李輔の降伏等もあり、包囲十六日で上庸は陥落、孟達は斬られ洛陽に送られ晒された。
魏の諸将は孟達が蜀や呉と連携しているから慎重に動くよう言ったが、司馬懿だけは孟達に対して即決で対処すべきと主張し、魏帝に図らず独断で州泰の先導で昼夜兼行で道を急ぎ、わずか八日間で上庸に到達した。
もともと孟達は、諸葛亮に「司馬懿のいる宛から洛陽まで八百里、上庸まで千二百里離れています。魏帝に奏上してから城下に迫るまで一ヶ月はかかるからそれまで防備は固められます」と言っていた。しかし司馬懿の神出鬼没ぶりにさすがに孟達は慌て、必死で抵抗したが、申儀の妨害や、孟達の甥の鄧賢や部将の李輔の降伏等もあり、包囲十六日で上庸は陥落、孟達は斬られ洛陽に送られ晒された。
20: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:42:41.82 ID:mLkJuwZ7a.net
関羽「曹操が会ってくれないから帰れないンゴ…せや!荷物置いていこ!あと邪魔する曹操の部下は殺すで」
23: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:43:20.38 ID:ccbDjDOQ0.net
楊修「曹操の気持ち知ってますよ」
謙虚で広い才能の持ち主であり、建安年間に孝廉へ推挙された。郎中に取り立てられ、曹操の要請で倉曹属主簿を務めることとなった。当時の丞相府は内政・軍事の課題が累積していたが、楊修はその激務をよくこなし曹操に気に入られた。また曹丕以下、楊修と親交を結ぼうとする者も多かった。楊修は特に曹植と深く親交を結び、よく手紙をやり取りした。
建安24年(219年)、曹操は漢中に遠征したが、劉備との間で持久戦が続いた。このときに曹操が言った「鶏肋」という言葉に対し、「鶏肋(鶏のあばら骨)は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほど肉がついてない」、即ち「漢中は惜しいが今が撤退の潮時」という意味であるとただ1人読み解き、撤退の準備を命じたという。果たして同年夏5月に曹操は撤退した。
その後、まもなく曹操によって処刑された。建安24年秋のことであった。享年45。
殺害の理由は、楊修が曹植に対し、「答教」という教科書を用いて曹操の意向を予め教えたり、妄りに諸侯(曹植)と連絡を取り合ったためだという。
建安24年(219年)、曹操は漢中に遠征したが、劉備との間で持久戦が続いた。このときに曹操が言った「鶏肋」という言葉に対し、「鶏肋(鶏のあばら骨)は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほど肉がついてない」、即ち「漢中は惜しいが今が撤退の潮時」という意味であるとただ1人読み解き、撤退の準備を命じたという。果たして同年夏5月に曹操は撤退した。
その後、まもなく曹操によって処刑された。建安24年秋のことであった。享年45。
殺害の理由は、楊修が曹植に対し、「答教」という教科書を用いて曹操の意向を予め教えたり、妄りに諸侯(曹植)と連絡を取り合ったためだという。
25: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:44:03.75 ID:7nlrO0eK+.net
>>23
曹操「袁術の身内やんけ、死刑!」
曹操「袁術の身内やんけ、死刑!」
楊修の処刑については、母親が袁術と縁続きであったことを曹操が考慮したともされており、明確な理由は分かっていない。
60: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:54:16.14 ID:pF7W4Wkaa.net
>>23
曹植に問答マニュアルつくってやったのになぁ
曹植に問答マニュアルつくってやったのになぁ
67: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:55:27.55 ID:C0T5kDh1a.net
>>60
マニュアルの制度が良すぎて公平性を欠くため出版者が除名されるという
マニュアルの制度が良すぎて公平性を欠くため出版者が除名されるという
28: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:45:11.86 ID:j49EY0Hc0.net
張コウ「グエー死んだンゴ(20年振り3回目)」
なんと作中で3回も死亡シーンが描かれている。(1回目は汝南、2回目は長坂、3回目は木門道)
孔明の巻「泥魚」より引用
赤壁の巻「宝剣」より引用
五丈原の巻「木門道」より引用
一方の嶮路から、関羽の隊の旗が見えた。
養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降ってきた。
猛然、張郃の勢を、うしろから粉砕し、趙子龍と協力して、とうとう敵将張郃を屠ってしまった。
養子の関平や、部下周倉をしたがえ、三百余騎で馳せ降ってきた。
猛然、張郃の勢を、うしろから粉砕し、趙子龍と協力して、とうとう敵将張郃を屠ってしまった。
孔明の巻「泥魚」より引用
趙雲は躍り立って、
「天この若君を捨てたまわず、われに青釭の剣を貸す!」
と、歓喜の声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、張郃の肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。
「天この若君を捨てたまわず、われに青釭の剣を貸す!」
と、歓喜の声をあげながら、背に負う長剣を引き抜くやいな、張郃の肩先から馬体まで、一刀に斬り下げて、すさまじい血をかぶった。
赤壁の巻「宝剣」より引用
突然、虚空に大風が起った。それは万弩の箭うなりである。たちまち絶壁は叫び、谷の岩盤はみな吼えた。それは敵の降らしてくる巨木土石の轟きである。
「や、や。さては」
気づいた時は、彼方此方に火が起っていた。低い灌木も高い木も焼け始めた。
張郃は、狂い廻る馬にまかせて谷口を探したが、そこの隘路もすでにふさがれていた。
性火の如しといわれていた張郃は、遂に炎の中に身をも焼いてしまった。
「や、や。さては」
気づいた時は、彼方此方に火が起っていた。低い灌木も高い木も焼け始めた。
張郃は、狂い廻る馬にまかせて谷口を探したが、そこの隘路もすでにふさがれていた。
性火の如しといわれていた張郃は、遂に炎の中に身をも焼いてしまった。
五丈原の巻「木門道」より引用
33: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:47:34.36 ID:uK+oIzNy0.net
>>28
草
草
29: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:46:15.07 ID:ccbDjDOQ0.net
諸葛亮「饅頭の作り方知ってますよ」
30: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:46:54.65 ID:HG69zWcPr.net
Vやねん袁家!
31: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:47:22.20 ID:wyzUgYkB0.net
丁原「呂布で殺せますよ」
「丁原」(テイ・ゲン ? ~ 189)とは、後漢末期の群雄であり、三国志を代表する猛将の呂布や張遼らを見出した人物である。
少帝劉弁を手に入れた董卓が後漢の実権を握ると、劉弁を配して劉協を新たな皇帝にたてようとしたが、丁原はこれに反対したが、董卓配下の李粛の手引きで裏切った呂布に殺され、丁原の兵は董卓軍に吸収された。
少帝劉弁を手に入れた董卓が後漢の実権を握ると、劉弁を配して劉協を新たな皇帝にたてようとしたが、丁原はこれに反対したが、董卓配下の李粛の手引きで裏切った呂布に殺され、丁原の兵は董卓軍に吸収された。
36: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:48:40.20 ID:C0T5kDh1a.net
>>31
董卓「赤兎ビンビンですよ、李粛」
董卓「赤兎ビンビンですよ、李粛」
37: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:49:11.13 ID:ccbDjDOQ0.net
満寵「城の守り方知ってますよ」
44: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:51:47.88 ID:7nlrO0eK+.net
>>37
こいつはホンマに知っとる
呉からすりゃ張遼の次くらいにトラウマちゃうか
こいつはホンマに知っとる
呉からすりゃ張遼の次くらいにトラウマちゃうか
38: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:49:22.19 ID:+5jQE2Bh0.net
(´・ω・`)「劉備のお兄ちゃん荊州を返してよ」
40: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:50:23.15 ID:uK+oIzNy0.net
孟達とかいう同情できそうでできないちょっと同情できる武将
41: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:50:29.07 ID:mLkJuwZ7a.net
虎五大将軍で天下統一や!!
56: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:53:34.87 ID:AEV5c/E20.net
>>41
結果として眉毛ニキ以外アレなんですがそれは
結果として眉毛ニキ以外アレなんですがそれは
42: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:50:32.47 ID:8fMjBUBo0.net
魏延「わしを殺せるものがおるか」
46: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:52:21.86 ID:XwVd2Wxnr.net
>>42
諸葛亮「見せたろか?」
諸葛亮「見せたろか?」
48: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:52:46.71 ID:8fMjBUBo0.net
>>46
見せて
見せて
54: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:53:23.63 ID:4z6eNG7rd.net
>>48
ここにいるぞ!
ここにいるぞ!
43: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:50:53.40 ID:5EfUR5D70.net
馬超「長安の陥としかた知ってますよ」
45: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:52:03.91 ID:ccbDjDOQ0.net
荀彧「人脈が自慢です」
47: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:52:38.95 ID:5EfUR5D70.net
司馬伯達「兄より優れた弟など存在しねぇ」
59: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:54:06.76 ID:7nlrO0eK+.net
>>47
司馬朗は全く逆の反応だったんですがそれは
司馬朗は全く逆の反応だったんですがそれは
49: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:52:52.05 ID:Rcb3XHo50.net
兀突骨「諸葛亮に買ったで~」
50: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:52:57.47 ID:RoB3y5n80.net
徐庶って魏で内務事務総相みたいなところまで昇ってわりとうまくやっとったって前聞いたけどホンマけ
51: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:53:01.87 ID:wyzUgYkB0.net
許攸「袁紹軍の倒し方知ってますよ」
55: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:53:24.71 ID:bKQTXq2kK.net
陳宮が殺してれば
57: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:53:45.44 ID:SyTdvpoO0.net
やっぱり劉備がナンバーワン
58: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/12/10(木) 01:54:02.88 ID:FmLPZeM00.net
諸葛亮「周瑜煽るンゴwwww」
周瑜
小説『三国志演義』でも、孫策の挙兵にかけつけ、江東制覇に協力し、孫策の死後も孫権に仕え、張昭と並ぶ重臣となった。赤壁の戦いでは史実と同様、主戦派の重鎮として登場するが、劉備の使者として呉に滞在していた諸葛亮にその出会いのときから翻弄され続ける損な役回りを負わされている。自らの策を全て見透かす諸葛亮を危険視し暗殺を企むも果たせず、終始ライバル視しながらも遂に敵わず病に倒れる。臨終の際にも諸葛亮からの挑発的な書状を読み、「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」と血を吐いて憤死するという最期となっている。
小説『三国志演義』でも、孫策の挙兵にかけつけ、江東制覇に協力し、孫策の死後も孫権に仕え、張昭と並ぶ重臣となった。赤壁の戦いでは史実と同様、主戦派の重鎮として登場するが、劉備の使者として呉に滞在していた諸葛亮にその出会いのときから翻弄され続ける損な役回りを負わされている。自らの策を全て見透かす諸葛亮を危険視し暗殺を企むも果たせず、終始ライバル視しながらも遂に敵わず病に倒れる。臨終の際にも諸葛亮からの挑発的な書状を読み、「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」と血を吐いて憤死するという最期となっている。

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コメント一覧
誰か、教えなっせ!!!!!
侃
罪状は一応、殺人教唆だった筈。
マニュアル作り所か、カンニングや替え玉紛いの事までさせてるんで残当。
袁術「無いわ~」
1(二) 馬謖を任用するなという劉備の遺言を無視
(劉備「馬謖は口先だけの男であるから、くれぐれも重要なことを任せてはならない」)
2(遊) 諸将からの呉懿や魏延への推挙を無視し、馬謖を任用して大敗
(蜀の第一次北伐 街亭の戦い)
3(一) 馬謖の件で何の責任も取らず形だけの降格
(自らも位を3階級下げて右将軍になったが引き続き丞相の職務を執行)
4(左) 司馬懿に2度も、孫子の「最上の策」(戦わずして屈服させるのが最善の方策)で撤退させられる
(第4次北伐と第5次北伐で司馬懿の防衛に対し完全に屈する)
5(三) 司馬懿を初め局地的に破るが、戦略で完璧に破られる
(第4次北伐)
6(右) 魏延の度々の献策を無視し、死の前に内密に諸将を呼んで魏延を殺す算段をたてる
(魏延が全軍撤退命令に従わなければ、構わず軍を進発させよと内密に楊儀・費禕・姜維らに指示)
7(中) 魏延と楊儀の険悪な関係に対し、何もせず放置する
(諸葛亮は2人が不仲なのに心を痛めていた)
8(捕) 問題のある李厳をたびたび用い、ついに謀られて北伐から撤退
(第4次北伐)
9(投) 陳震のたびたびの忠告をガン無視し、李厳を任用し続けてきたことを後悔
(「陳震伝」)
全てひとつの理由で説明できるんだよなあ
このままでは自分が死んだら蜀が終わるから
攻めさせるほど価値のある拠点持ってなかったんだろ魏も呉も漢王朝の頃からそれなりの権威と領地持ってたからな
劉備からしたら才人を過労死させるレベルでやっと対等だし魏も呉も驚異に感じてたのは劉備より五虎将だから勢揃いで守られるよりいかに戦力分散させて各個撃破するかに懸けてたし
司馬懿の引きこもりは元々クーデター起こすつもりで仕官したくなくて仮病使ってただけで嫁に怒られたからやる気出しただけだぞ
まぁ自分が仮病使ったせいで諸葛亮が病死したときもそれが嘘か本当か見抜けなかった訳だけど
??「女差し出してヤってる間に取り囲めばええだけやんけ」
なにがむむむだ!
だから魏延の長安奇襲は戦略と合致しないので却下された。
第一回の北伐では趙雲らを長安と陳倉の間に北上させ援軍を遮断すると共に、本体は西に進軍して雍州・涼州の侵略にかかったが、趙雲らは曹真の軍勢を阻止できずに敗退、北の街亭方面へ迂回した張コウを押さえる為に派遣した馬謖も破れ、曹真・張コウ両軍の来襲を恐れた諸葛亮は撤退した。
その後も長安からの援軍ルート遮断と西伐が試みられるが失敗、魏の方でもいい加減長駆して援軍出すの面倒だからもう辺境に軍勢駐屯させようと思い切った行動に出ると、諸葛亮も打つ手がなくなり魏と蜀の国境付近にある五丈原で何もできないまま没する。
董卓遺臣の唯一の有能
これ成功してたら蒼天航路がなかったんだよなあ
英雄色を好むをこれ以上なく利用した奇襲
「漢の正統後継を自称しているのに、後継王朝の義務である史書の編纂を劉備に指示しなかった」
も入れよう
もう字面だけで笑える